私はセネガルのゴレ島で生まれ育ちました。ゴレ島は1978年に世界で初めてユネスコの世界遺産として登録された12の遺産のひとつです。
母の一周忌で5年ぶりに帰り、私の音楽の原点はやっぱりゴレ島にあると感じました。今回、私の故郷であるゴレ島がどんな場所なのか、みなさんに紹介したいと思います。
ゴレ島とは?
ゴレ島はセネガルにある人口1500人程の小さな島で、セネガルの首都ダカールの港からフェリーに乗って20分程で到着します。
向こうに見えるのがゴレ島です。
久しぶりの故郷。海を見たら飛び込んでしまいます。ここがフェリー乗り場です。小さい頃はここから泳いで、よく島を一周したものです。島民はみんな小さい頃ここで泳ぎを学びます。
ゴレ島は静かな街です。車も走っていません。ブーゲンビリアが咲き乱れ、ヨーロッパの古い街並みを感じるカラフルな家が並ぶ、とても美しい島です。
私は22歳の時に日本に来ましたが、ゴレ島に住んでいた頃は、魚を買った事はありませんでした。石鯛や鯵、カツオ、いわし、タコ、イカ、太刀魚、伊勢海老、ウニ、アワビなど、季節によって変わる魚介類を釣ったり潜ったりして採っていました。採ったものは全て家の食卓に並ぶ幸せな毎日でした。いまでもセネガルに帰ると釣りに行くのが楽しみです。
小学校はゴレ島にある学校に通っていましたが、中学校からはダカールにあるサン・ミッシェルという学校に毎日船で通っていました。朝6時のフェリーに乗って学校へ行き、昼食を家で食べるため12時半のフェリーに乗って島に戻り、14時のゴレ島発のフェリーに乗ってまた午後の授業に参加するという毎日でした。日本では考えられない生活かもしれませんね。
右の黄色い建物が小学校で、これも世界遺産に登録されています。学校の前を通ると懐かしい気持ちになります。
左側の建物は、同じく世界遺産に登録されているウィリアム・ポンティ高等師範学校跡地です。マリ共和国やコート・ジボワールなどの西アフリカ歴代の大統領が勉強していた、当時の西アフリカの最高教育機関でした。
これは私が生まれ育った家です。家の中庭にはバオバブの木が生えています。バオバブはセネガルでは神聖な木なので、切る事できません。我が家のバオバブの実で作るジュースは島一番甘く、葉っぱは乾燥させて粉末状にし、チェレと呼ばれるセネガルの粟と混ぜていただきます。
私の日本人の知り合いの多くはセネガルに行くと私に家に寄ってくれ、ここが観光地みたいになっています(笑)。
これは世界遺産に指定されている植民地時代のフランス総督の建物です。植民地解放後はホテルとなり、今はその跡地として残っています。このホテルのキッチンで、その昔私の父と母がシェフとして働いていました。
建物の横の道は私のジェンベ人生が始まった思い出の場所でもあります。「Africa Djembe」というグループで、先生の指導の元、この通りで練習していました。
ゴレ島の標語はフランス語で「Revigoré toujours」。日本語で「ゴレ島に戻れば元気を取り戻す」という意味です。帰郷する度に心が休まります。
穏やかな幼少時代を過ごした美しいゴレ島。しかしここは、人類の悲しい歴史を背負った島でもあるのです。次回はそんな一面を紹介したいと思います。